現代は「モノが売れない時代」と言われています。これはどういった理由かと言うと、「既にモノが行き渡っており魅了的でないモノは売れない」ということなのだと考えられます。現に売れている魅了的な製品はたくさんあり、掃除機で言えば『ダイソン』などでしょう。
では「魅力的」とは一体どういった事なのか?この問題を解決するにはどうすれば良いのか。デザインの在り方や考え方の面から「魅力的」の正体を探って行きたと思います。
日本の電気製品が売れなくなった理由
日本経済が上り調子だった1990年代前半までは「良いモノ」さえ作れば売れていた時代でした。しかし現代はモノが行き渡り、単に「良いモノ」を作るだけは売れない時代となりました。
ここで言う「良いモノ」とは、「高品質で安価」ということだったのかと思います。当時の日本製品は「高い技術力」で「高品質(頑丈で長持ち、高い機能性)で安価(欧米と比べて)」な製品を作り出しということから“MAID IN JAPAN”の信頼を世界中から得ていかと思います。
しかし「技術力」というものは簡単にコピーされるものであり、今では中国や東南アジアにお株を奪われた状態なのです。
つまり日本製品が駄目になった訳ではなく、単純に日本製品よりも安くて良いモノ(さほどスペックは変わらな)モノが市場に出回り、世界市場で売れている、という状態なのだと考えられます。
日本製品よりも「さらに安くて良いモノ」が世界中で売れていくのは実に当然の成り行き、とも言えるのです。
現代は、モノ(プロダクト)よりもコト(体験)が重視される時代
日本製品が売れなくなったもう一つの理由が「世の中のWANTS(ウォンツ / 要望)」とのズレだと考えられます。
これは既にモノが行き渡った世の中の要求が「頑丈で長持ち」から、それを使う事で「どんな良いことがあるのか?」、「生活がどの様に変わるのか?」という「体験重視の方向」にシフトしている、という事なのです。
「モノ(プロダクト)」そのものよりも、モノを通じた「コト(体験)」が重要であり、使った結果「どの様な体験を得る事が出来るのか」、「どの様に生活が変わるのか」といった「生活のシーン」を消費者に想像させる魅力が、現代のプロダクトには必要ということなのです。
コンセプトをデザインで表現するということ
例えば、『ダイソン』はサイクロン方式やモーターなど高い技術力で次世代の掃除機を作ったメーカーですが、売り方は決して技術力押しではありません。
広告でのプロダクト訴求は、細かなスペックや機能には触れず、「永遠に変わらない吸引力」や「他のどの掃除機よりもゴミを吸い取ります」などのシンプルなキャッチコピーとプロダクトのみをレイアウトした「イメージ訴求形」のモノが多い印象です。
技術力が高いのだからもちろん技術力の訴求はしますが、シンプルで無駄がない、という特徴を感じます。「永遠に変わらない吸引力」は生活に変革を起こしてくれ雰囲気がありますし、「他のどの掃除機よりもゴミを吸い取ります」という直球勝負のコピーは余程の自信とプロダクトに対する信念が無い限り軽々しく言えないことでしょう。
一方で日本メーカープロダクトの広告は、ゴチャゴチャと「あれも出来る、これも出来る」と押し付けがましく、製品と関係ない人気タレントを使うなど、悪く言うと「消費者に媚びた」様な印象もあります。ダイソンと真逆の「冗長で無駄が多い」という印象になるのは当然だと言えるでしょう。
ダイソンは技術力を売りにしながらも、根底にあるコンセプトは「あなたの生活を技術力で変革します」というものであり、その掃除機が「毎日の掃除が楽しくします」という「体験を売り」としている事が感じられます。
このコンセプトは広告だけでなく、プロダクトのデザインで表現されています。具体的には「取ったゴミがリアルタイムで見える」というデザインです。
「汚いゴミが見える」というのは普通に考えれば非常識な仕様ですが、掃除の度にゴミが増えていくのは消費者にとっては痛快であり、気持ちが良いし、また掃除がしたくなるではないでしょうか?。(ぼくは実際に持っているので、これはリアルな感想になります)
この「ゴミが見えるデザイン」は「コンセプトを際立たせ」、また「技術力を見せつける」という二段構えの点で優れており、コンセプトをむき出しにしたデザインの見本とも言えます。
これら一連の思想が「オンリーワンの価値」を感じさせるデザインとなっており、「使ってみたい(倍の値段でも)」という消費者の感情を引き出しているのだと感じられます。
売れるプロダクト、売れないプロダクト、根底にある「コンセプト」の違い
以前から「ものづくり大国日本」と言われるだけあり、日本の製品はいつまでも「技術力訴求」が根底のコンセプトとなっている傾向が強いのです。
その「技術力の高さ」は「多機能化(やたらボタンが多い)」や「既存技術のブラッシュアップ(静音、省エネなど)」などにフォーカスされている印象があります
一方で『ダイソン』や『Apple』などのプロダクトは技術力を「革新的なアイデアに昇華」し、その技術力が「生活をワンランク上げる」ということを想像させるものになっている、のかと感じます。
根底にあるコンセプトは「生活をもっと便利に」する事であり、「人類を次の段階に連れて行くこと」の様にも思えます。
太平洋戦争当時、日本は高い技術力を当時時代遅れとされた巨大な戦艦「大和」につぎ込み、結果的には大敗しました。
これは「技術力の過信」又は「間違った方向に技術力がデザインされた」事が生んだ失敗だと言えるでしょう。
デザインとはコンセプト際立たせること
つまり日本の製品は「デザインが良くない」ため売れないのです。ここで言う「デザイン」は色や形などの見た目の「美しさとしてのデザイン」ではなく、コンセプトのデザイン、それを表現する方法などの「総合的な戦略デザイン」が良くない、ということなのです。
「ダイソンの掃除機」や「iPhoneのデザイン」などのプロダクトはメーカーのコンセプトを表現したモノなのです。
ダイソンは「わざとゴミを見せる」ことで掃除の楽しさや技術力の高さを示しており、iPhoneは極限までシンプルにする事で「誰もが直感的に使えるインターフェイス」、「人類を次の世界に引き上げる次世代の機器としての美しさ」を実現しました。
いつまでも戦艦大和的な思考で「良いモノをさえつくれば勝てる(売れる)」という呪縛から抜け出せない日本企業は、高い技術力を「説明書を見ても良くわからない機能」や「どこを押したら良いのか分からない多すぎるボタン」に変えてしまっているのだと感じます。
これはプロダクトの根源ともなる「コンセプトのデザイン」、その「コンセプトをプロダクトと結びつけて表現する」という、世界で主流の「売れるデザイン」が出来ていない、という事実なのかと思います。
極論しますと、「単なる美しく仕立てた」上辺だけのデザイン、ハリボテデザインという印象となってしまう、ということなのです。(見た目は強そうだが米軍に粉砕され沈んだ戦艦大和の様に)
最後に
デザインの本質は「問題解決のために物事をある方向に仕向けるフロー」であり、単に「外見を美しく仕立てる」という表面的なスタイリングではありません。
家電に限らずどの様になデザインでもこれは同じで、「表面的な意図の希薄なデザインは機能しない」し、「世の中から必要とされない」のです。
現代では、それを通じて「どの様な体験を提供するのか?」という「体験のデザイン」がとても大事であり、これを表現するデザイン(プロダクト)こそが、消費者が求めるデザインなのだと感じます。